DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)
不動の世界最高峰ワイン
世界中のワイン愛飲家たちがこぞって最高峰と崇める伝説のワイナリー。
常に最も高価なワインに名を連ねる希少なブルゴーニュワイン。
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの紹介
数多ある名高いワインの中でも、最も高価で、崇高な存在と言われるドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ。ワイン愛好家がこぞって愛するワインの終着点として崇められています。
ロマネ・コンティの畑の歴史は古くローマ時代まで遡ります。
ローマ人が統治とぶどう栽培への感謝を込めて、この村の中でも極上の畑に『ロマネ』という名を贈ったと言われています。
ローマ時代から実に2000年以上もの間、この地でぶどう造りが行われているのです。そんな歴史あるロマネ・コンティは数々の歴史を刻みながら、その畑を少しずつ増やしていきます。
DRC社として所有する畑は、モノポールを含むヴォーヌ・ロマネの6つのワインとモンラッシェ、合わせて28haで、その全てが特級畑です。
50年超の古樹をがほとんどで豊作の年でも1haあたり30hlほど。栽培が思わしくない年には20hl前後まで下がると言われています。
今日では世界で最も高価なワインと知られるロマネ・コンティは、年間の生産本数が少ないことからも、希少性と人気で常にその価格を押し上げています。
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの歴史
13世紀
1232年、ベネディクト派修道会のサン・ヴィヴァン・ド・ヴェルジィ修道院が、ル・クルー・ド・サン・ヴィヴァンの畑 1.8haを手に入れました。ル・クルー・ド・サン・ヴィヴァンの畑は、4つの隣接するクルー(現在のクロ)で構成されていました。このうち一部は後に世界中から注目されるモノポール(単独所有畑)、最高峰の赤ワインとなるロマネ・コンティ、そしてDRC社が生み出す特級畑のロマネ・サン・ヴィヴァンと呼ばれることになる畑なのでした。18世紀
17世紀から18世紀初頭に君臨していた、太陽王・ルイ14世のお抱え医師ファゴンは、王様の持病の治療薬として、ブルゴーニュのなかでもとびきりの美酒を、毎日スプーン数杯、処方していたといいます。ルイ14世は胃弱や通風など複数の病気を患っていましたが、あまりの美味しさに、薬として与えられたワインの虜になってしまったと言われます。しかしながら醸造量はわずかで高価、王といえども、思いのままに飲めるものではありませんでした。ドクター・ファゴンが王様に飲ませたのは、後に“ロマネ・コンティ”と呼ばれるようになるブルゴーニュの赤ワインで、ヴォーヌ・ロマネ村のサン・ヴィヴィアン 修道院が持っていたぶどう園のぶどうから造られたワインでした。
1760年に競売に賭けられた畑は、コンティ公爵の所有へと移り、すべて自家用に切り替えられたためロマネ・コンティという名で知られるようになります。 その後すぐ勃発するフランス革命により、この畑も没収されてしまいますが、ロマネ・コンティという名前だけは後世に残ったのでした。
19世紀
フランス革命下に没収された畑は、再度競売と売却を繰り返し、1869年、現当主のオベール・ド・ヴィレーヌの家系がロマネ・コンティの所有権を得た後、次々と畑を買い足していきました。買い足された畑は後にエシェゾー、グラン・エシェゾー、リシュブールとなる畑でした。1815年にはナポレオンの将軍の一人、ルイ・リジェ=ベレールが彼の息子とともに、後にラ・ターシュとなる畑を含む40haの土地を手に入れました。
しかし相続で揉めた結果、ラ・ターシュをロマネ・コンティに売却したのです。これが後のDRC社のラターシュの畑として広く知られることになります。 一方でロマネ・コンティの畑は1869年、ジャック・マリー・デュヴォー・ブロシェに売却されるのです。
20~21世紀
20世紀初頭の1912年にジャック・シャンボンとマリー・ドミニク・ド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌの手に渡り、この時にドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティという名称が登録され、ド・ヴィレーヌ家の歴史が幕を開けます。1942年に法人化されたこれらの畑は、エドモンド・ゴーダン・ド・ヴィレーヌとオーセイ・デュレスのワイン商アンリ・ルロワの共同経営体制となりました。 1974年からオベール・ド・ヴィレーヌ、そして1992年ルロワ家が、1992年からはアンリ・フレデリック・ロックが、そして2019年からは今日まではペリーヌ・フェナルが共同経営者としてドメーヌの運営を行っています。
DRC社は1985年からオーガニック農法に着手し始めると、1990年を目処にビオディナミに転換していきます。2016年にはビオディヴァンの認証を受けることに成功しています。一部の畑では馬にDRC社で造られるワインは、伝統を重んじかつてのスタイルを実直に継承することで守り抜かれています。
徹底したぶどうの選果作業と収量のコントロール、状況に合わせた除梗を行い、発酵温度は32、3℃。古くから守られる醸造技術を継承し、開放式桶で時間をかけて発酵し、トロンセ産の新樽100%で月齢に合わせて長期熟成させます。1本のロマネ・コンティを生み出すには、ぶどうの樹が3本必要だと言われています。
DRC社はは2009年からコルトン、2019年からコルトン・シャルルマーニュも手掛けています。コルトンはプランス・フローラン・ド・メロードから3区画、コルトン・シャルルマーニュはボノー・デュ・マルトレから畑を借り、自社独自の農法と醸造により秀逸な白ワインを生み出しています。
ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティの特徴
DRCの持つ畑のうち、ロマネコンティとラ・ターシュ、ロマネ・サン・ヴィヴァンはモノポール(Monopole,単独所有の畑の意)と言って、その畑すべてをDRCが所有しているため他の生産者が生産することはない、"DRCだけのワイン"となるのです。モノポール以外にも、グラン・クリュであるリシュブール、グラン・エシェゾー、エシェゾー、コルトンと錚々たる赤ワインを生産しています。また、希少且つ高価なブルゴーニュ最高峰の白ワイン、モンラッシェも生み出しています。これらの自社畑は、合わせて28haといたって小規模で、樹齢は高く収量なため年間の生産本数は全体で10万から11万本ほどと言われています。
ロマネ・コンティの多くの畑は東南東に向いており朝夕方まで長時間にわたり日光を浴びられる畑です。1日のうち、長時間太陽の光を受けることで、ぶどうの熟度が上がります。標高は260から270メートルでなだらかな傾斜があるため水はけがよく、1haあたり1万4000本の植栽密度で植えられたぶどうの樹は、石灰岩の亀裂や断層のすき間をぬって地中深くから必要な養分を吸い上げます。
このような歴史ある畑に極上のテロワール、生産者の手間と努力も加わり、最高峰の称号を手にした今もなおワインのクオリティと威厳を維持し続けているのです。
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スタッフコメント
言わずと知れた世界最高峰のピノ・ノワール、ブルゴーニュの最高峰と称えられるDRC社所有のワインたち。その中でもやはりロマネ・コンティはやはり別格だと感じます。 恐ろしいほどに繊細に仕立てられた、デリケートなピノ・ノワールは熟成とともにその姿と印象を大きく変え、繊細さはそのままに、口に含んだ瞬間の奥深いまろやかで、且つ強いボディを運んできてくれます。赤ワインにして爽やかで、それでいてふくよかで、喉を通したあとも限りなく口の中で優美な存在感を残してくれる・・唯一無二のピノ・ノワールの所以がここにあるのだと感じさせれられます。
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